テーマ:「病院における認知症高齢者の転倒予防からはじまる身体拘束最小化」
2026年10月11日(日)、ウインクあいち(愛知県名古屋市)で開催された第13回日本転倒予防学会学術集会において、日本医療安全学会・日本認知症ケア学会・日本転倒予防学会の3学会合同企画ジョイントセッションが開催されました。

本シンポジウムは、2023年に当会(日本医療安全学会)がハブとなり、医療・介護関連11団体によって公表された「介護・医療現場における転倒・転落~実情と展望~ 共同声明」を契機・出発点として企画されたものです。医療安全・転倒予防・認知症ケアという異なる専門領域の学術団体が垣根を越えて結集し、急性期医療現場における「転倒予防」と「身体拘束最小化」の両立に向けた議論が行われました。
当日のセッション概要ならびに、当会理事長・大磯義一郎による法的考察、および座長・鈴木みずえ氏による講演の要点を中心にご報告いたします。
■ プログラム概要
- 日時:2026年10月11日(日)13:15~14:15
- 会場:ウインクあいち 第1会場 大ホール
- 座長:鈴木 みずえ 氏(静岡県立大学 特任教授/国立長寿医療研究センター 特任研究員/浜松医科大学 名誉教授)
- 演題および演者:
- 身体拘束最小化に必要な認知症の人のパーソン・センタード・ケアの視点
演者:鈴木 みずえ 氏 (静岡県立大学 特任教授/国立長寿医療研究センター 特任研究員/浜松医科大学 名誉教授)
- 病院における認知症高齢者の転倒予防から始まる身体拘束最小化
演者:河島 智子 氏(磐田市立総合病院 看護部・認知症看護認定看護師)
- 身体拘束を減らしたいが減らせない ~急性期病院医師の意識調査からみえた課題~
演者:山崎 薫 氏(磐田市立総合病院 整形外科医師/病院事業管理者兼病院長)
- 認知症高齢者に対する転倒予防と身体拘束における法的考察
演者:大磯 義一郎 氏(日本医療安全学会 理事長/浜松医科大学 医療法学 教授・医師・弁護士)
■ 講演要旨(抜粋)
1. 【法的考察】司法の求める注意義務と現場の乖離が生むジレンマ
演者:大磯 義一郎 氏(日本医療安全学会 理事長/浜松医科大学 医療法学 教授・医師・弁護士)
大磯理事長からは、医師・弁護士の双方の視点から、近年の司法判断が医療・介護現場に与えている影響と課題について報告がなされました。
- 過失認定と現場実情のギャップ(神戸地裁令和4年11月1日判決の検討)
認知症高齢患者が早朝のトイレ誘導後、他患者の緊急コール対応中に転倒した事案において、裁判所は看護師が便座から離れたことに対する結果回避義務違反(目を離さないか、他職員へ見守りを依頼すべき義務)を認め、病院側に約532万円の損害賠償を命じました。深夜帯の人員体制や複数患者への同時対応という極めて切迫したリソースを顧みず、結果責任に近い過度な注意義務が課された判断であり、医療現場に大きな萎縮をもたらしています。
- 「過失相殺の困難性」がもたらす防衛的拘束の懸念
認知症高齢患者の場合、事理弁識能力(責任能力)を問えないため、法理上「過失相殺」が認められにくく、損害全額を医療機関側が負担せざるを得ない構造が存在します。この司法の現実が「転倒訴訟を避けるためには身体拘束をせざるを得ない」という誤った防衛医療を誘発しかねない危険性を孕んでいます。
- 今後の展望と提言
確実な転倒防止策が確立されていない医療の実態を司法・社会に理解してもらうため、日本転倒予防学会等の専門学会による積極的な知見の発信や、患者・家族への丁寧なインフォームド・コンセント(転倒リスクと身体拘束の弊害に関する合意形成)の重要性が強調されました。
2. 【認知症ケア】パーソン・センタード・ケアによる「抑制」から「支援」への転換
演者:鈴木 みずえ 氏(静岡県立大学 特任教授/国立長寿医療研究センター 特任研究員/浜松医科大学 名誉教授)
座長を務めた鈴木みずえ氏からは、認知症ケアの根本理念である「パーソン・センタード・ケア(PCC)」を軸とした身体拘束最小化のアプローチが提唱されました。
- 行動の意味を読み解く(Distress BehaviorsとしてのBPSD)
「ナースコールを押さずに一人で動く」「点滴や管を触る」といった行動は、単なる“問題行動”や“危険行動”ではなく、排泄の切迫感、不安、恐怖、痛み、自立心の表出など、言葉で十分に伝えられない本人の切実な訴え(Distress Behaviors)であると捉え直す重要性が示されました。
- 「Positive risk-taking」とリスク・ベネフィットの評価
身体的安全性のみを過剰に優先すると、社会的・心理的ウェルビーイングが著しく損なわれます。歩行に伴う転倒リスクだけでなく、「動かさない・拘束することによるリスク(筋力・ADL低下、せん妄悪化、フレイル、尊厳の毀損)」の双方を多職種で統合的に評価し、一定のリスクを受け入れながら自律を支える「Positive risk-taking(前向きなリスク受容)」の考え方が紹介されました。
- 安心と信頼に基づく関わり
「動かないで」「触らないで」といった一方的な制止ではなく、患者の生活歴や価値観を尊重し、心理的ニーズ(くつろぎ、アイデンティティ、愛着、共にあること)を満たす関わりを通じて、患者が安心できる環境と信頼関係をチーム全体で築くことが、結果として転倒や自己抜去の抑止につながると結ばれました。
3. 急性期病院の実践と医師の意識
演者:山崎薫 氏(磐田市立総合病院 整形外科医師/病院事業管理者兼病院長)
河島智子 氏(磐田市立総合病院 看護部・認知症看護認定看護師)
シンポジウムではさらに、急性期現場の実態として磐田市立総合病院の取り組みと医師意識調査が共有されました。
- 山崎薫 氏より、医師の約75%が「身体拘束は避けるべき」と考えつつも、8割以上が自己抜去や転倒による医療安全上の不安を抱えている実態が報告され、個人の「勇気」に頼るのではなく、せん妄対応の標準化や多職種チームによる「安全を守れる病院の仕組み」の必要性が提起されました。
- 河島智子 氏からは、AIによる転倒要因分析の活用や、畳病室の設置など療養環境を生活に近づける工夫により、転倒率を大きく上昇させることなく身体拘束率・拘束具使用の大幅削減を達成した実践事例が紹介されました。
■ 総括
医療安全の目的は、単にリスクをゼロにするために患者の尊厳を奪うことではありません。今回の合同シンポジウムを通じ、「転倒を防ぐための拘束」から「尊厳を守りながらチームで支える医療安全」への転換に向け、医学・看護・法学の知見を結集した実践的な議論が展開されました。
日本医療安全学会では、今後も他学会・関係団体と連携を深め、医療従事者が萎縮することなく、患者中心の安全で質の高い医療を提供できる環境づくりに向けて発信と提言を続けてまいります。